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 ■07年5月31日  フェラーリと鉄瓶  (ブログ アーカイブス) ()

 
今日は本のレビューを。

 奥山清行という方が書いた 『フェラーリと鉄瓶』 を最近読んだ。奥山さんは山形出身のデザイナーで、世界の自動車会社などでデザイナーとして活躍、数年前にフェラーリ・エンツォをデザインしたことで一躍有名になった方である。
本の内容は奥山さんが海外の会社で経験したこと、特にイタリアでの生活などが簡潔な章立てで書かれている。イタリアではコーヒーにたっぷり砂糖を入れるほうが男らしいという話に「へえ〜」と思ったり、デザイン論の章では日本の自動車メーカーの名前が浮かんできて思わずニヤリとさせられたり。ビジネスに関する話も小難しくないので素直に読める。
そんな中で僕が一番心引かれたのは最終章の、奥山氏が故郷・山形について語っている章である。

早くから海外で活躍していた奥山氏だが、そんな氏も以前は山形出身であることを「ひた隠しに隠していた」そうである。その気持ち、山形県人なら非常によくわかる。
実際僕の少し上の世代くらいまでの人には、山形出身であることへ異常なまでの劣等感を持っている人間が少なくない。「山形は何もないところ。つまらないド田舎。」そんな思いは多くの県民の心の奥底に漬物石の様に居座り、長らく動かしがたいものとして存在していたのだ。

 しかし奥山さんは今はもう山形出身であることを普通に口に出せるという。むしろそれが話題の種になることを楽しんでいるのだとも言う。その気持ちもよくわかる。
 それは奥山さんが大きな仕事を成し遂げたことで自信を持たれた事もあるかもしれないが、一般県民にもその意識は広がっていると思う。僕らの世代あたりから、ちょうど交通などの発達も進んだことから少し県外界に対しオープンになってきた気がするし、その下になると山形であることはほとんどハンディに思っていないようである。
 そして人々が故郷と向き合ったとき、そこに自然に生まれる問い。

「山形は本当に何もないところなのか?」

 確かにここは人口は130万ほどしかいない小規模県で、目玉になるようなスポットもこれといってない。だが訪れる人をカネに換算するような観光立県がいいわけじゃないし、スタバのコーヒーを飲めば洒落た人間になれるわけでもないだろう。
 豊穣で穏やかな風土で培われてきた技術や文化があり、それを苗床に生まれる才能には県境も国境もないのだ。そういう当たり前のことに、人々は気がつき始めている。

 氏が中心になって山形から進めている、ものづくりプロジェクトのHPもある。山形の伝統技術とイタリアで認められたデザインセンスの融合。見ているだけで楽しい。
 ⇒ ★リンク:山形工房

この 『フェラーリと鉄瓶』 、山形に縁(ゆかり)のある人ならぜひ一読する価値がある本だと思う。もちろん山形に関係ない人が読んでも面白いし、『山形』を他の県に置き換えても何ら変わることはない。
加えてさすがにデザイナーの方の本だけあって装丁も美しい。カバーを取った中身もとてもきれいだ。 




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